オペラにしろ、ミュージカルにしろ、楽器は自分の身体。奏者も自分。
最近、いろんな想い、考えが重なって、歌っています。
「歌っている」と言っても、人前に立って歌っているということではなく、ちょっとした隙間時間に発声練習をしたり、曲のワンフレーズを練習したり。
柔道で言えば、裏の山に入り、一人で黙々と受け身を繰り返している、みたいな感じかも知れません。
自分自身が舞台に立って歌うことからは遠ざかって久しいし、ここ数年は普段の仕事先でいわゆるマンツーマンのレッスンをすることもないので、何となく「ちゃんと歌う(声を出す)」こと自体がフェードアウト傾向にありました。
一時期、ひどい副鼻腔炎から後鼻漏とかいう厄介なものになって、声を出しても清清と歌うことができなかったせいもありますが・・・。(こちらは、漢方を中心に治療を続けていたおかげか、だいぶ改善されて、今はほぼほぼ問題なしです。)

稽古とは、一より習い十を知り、十より還る基のその一
それがここのところ、何故か、無性に自分の声を磨きたく(?)なり、かなりコンスタントに(とは言っても、小刻みな細切れ時間でけど)声を出しています。
YouTubeでいろんな方の歌を研究したり、自分よりはるかに若い世代の方のレッスンを受けたり。
すると、まぁ、とにかく新しい発見が次々にあるのです。
声も、鈍っていた喉と身体が蘇ってくると、面白いくらい、以前は出なかったような声も出たりするのです。
「あぁ、せめてあと20年若かったら。」
そう思うのが正直なところですが、これまで経験してきたことの上で、今このタイミングだからこそわかること、できることも事実なので、赤塚不二夫先生の生み出した名台詞「これでいいのだ」と自分自身に言い聞かせています。
「稽古とは、一より習い十を知り、十より還る基のその一」
いや、本当に、まさに、その通りだと思う毎日。

地声じゃなく、自声
結局のところ、どれだけ自分の声、自分の心身と時間をかけて向き合えるかが勝負なのだと思い知っているのです。
オペラのような声楽発声ももちろんだし(ここのところ初心に立ち返りオペラ・アリアなぞよく歌っています)、いろんなジャンルの音楽をいろんなキャラクターで歌うミュージカルとなれば、尚更。
でないと、あっという間に自分自身(の根っこ)を見失い、バランスを崩します。
確固たる自分。素材としての自分。
「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
そうなると不思議なもので、一時期避けていた(というか、そもそもコロナのことがあって、それどころではなかった)マンツーマンの個人レッスンについても、考え始めたりするんだから、人間ってのは不思議なものです。
ただ、たしか「コーラスライン」のキャシーの台詞にあったように(映画版だったかな)、「自分がやりたいことを人に教えるなんてまっぴら」みたいなのも真実で、要は、
単純に自分がもっと上手くなりたいからいろんな工夫をし、試行錯誤をし、何度やっても上手くいかなくても諦めきれず、腐れ縁のように付かず離れずしながらでも続け、ふと気がつくと前にはできなかったことができるようになっている
そういうことなのだろうなとつくづく思っているのです。
昔は、「教えよう」「上達させよう」としていたのに違いないのです。
今は、そんな風に肩に力が入っていないのが、自分でもよくわかります。
ボクは単に自分が上手くなりたくてスキルを磨き続けるのです。
あぁ、何という幸せな自己満足、自己完結。

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