歌うことは生きること
最近観た(と言っても、自宅で、だけど)映画、「アンドレア・ボチェッリ〜奇跡のテノール」とエルトン・ジョンの半生を描いた「ロケット・マン」。
どちらも実在の音楽家の半生を描いたものだ。
「あぁ、音楽が、歌うことが、かろうじて自分を支え続けたのだなぁ。」
そう思わずにはいられなかった。
誰のために歌うわけでもない。
音楽が、歌うことが、崩れ落ちそうな自分という存在を、文字通り、かろうじて支えてくれたのだ。
その瞬間だけは、自分が自分として、そこに、この世界に、存在することが許され、認められ、何者からもその存在を脅かされない。
それを可能にするのが音楽であり、歌であり、声であったのだ。
極端な言い方をすれば、音楽があったから、正気を保っていられたと言っても良いかも知れない。
きっと、彼らはその人生で、二度、三度と音楽と出会っているに違いない。
そして、再び、新たに出会う度、音楽が、歌が、自分にとって持つ意味を、深く認識し直しているに違いない。
そうした時の流れの中で、知識や技術、ノウハウといったようなものは、段々と意味をなさなくなっていったのではなかろうか。
歌うことは生きること。
自分の人生と音楽が、歌が、重なり合う瞬間を、感じ取ったに違いない。
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