スピルバーグ監督のウエスト・サイド・ストーリー

ミュージカル映画の最高峰、そのリメイクの出来栄えは・・・?

※どちらかと言えば、既に映画をご覧になった方がお読みになることをお勧めします。

というわけで、観て参りました、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ウエスト・サイド・ストーリー」。

いきなり、率直な感想を書くと、

「シナリオの細部まで良く考えられてるなぁ。でも、個人的には・・・正直微妙。」

ってところかな。

観た人からあんまり否定的な感想は出ないんじゃないかと思う、これは。

各登場人物の現在(=映画で描かれる時点)に至るまでの背景(ボクたちが“0幕”と呼んでいたもの)やバックボーンを書き加えることによって、オリジナルの時代設定は変えずに、現代の社会問題も同時に映し出そうとしているように感じた。
(これは、脚本家の腕に違いない、おそらく。)

ただ、ごくごく個人的な感想としては、「ミュージカルって・・・一体何なのかな?」という素朴な疑問が湧き出してしまった。

「こんなにダンスの上手い不良グループはいない」

かつて、加藤健一事務所の舞台に出演した角野卓造さんを評して、かの三谷幸喜氏が、

「最高に上手い。ただ、一つ思ったことは・・・あんなイギリス人はいない。」

みたいな表現をしていて、そのあまりに妙を得た文章に膝を打たずにはいられなかったことを思い出す。

今回、スピルバーグ版の映画を観て、ふと

「こんなハイレベルなダンスをみんながみんな踊りこなせる不良グループなんているわきゃない。」

そんな思いが浮かんでしまった…。

じゃあ、何故、1961年版の映画を観てもそう感じないんだろう???

もしかしたら、そこがジェローム・ロビンスのジェローム・ロビンスたるところなのかも知れない。

「ジェームズ・コーデンかよ!」

今回の映画では、かの有名なナンバー“America”の終盤が路上で大々的に繰り広げられる。

あのジェームズ・コーデンの「横断歩道でミュージカル(Crosswalk the Musical)」だって青信号の間だけなのに、映画の中のベルナルドとアニタをはじめとしたプエルトリカンたちは交通を止めようが何しようがそんなことはおかまいなしである。
(・・・だって、ミュージカルなんだもん!そんな感じ?)

“America”以外でも、“I feel pretty”はマリアの広々とした職場で(おそらく)上司の女性まで巻きこんで華々しく繰り広げられる。

“One Hand, One Heart”は、(おそらく公共の)美術館内で仮想挙式を始めるマリアとトニー。

“Gee, officer krupke”に至っては、警察署内でやりたい放題、書類を撒き散らした挙句に勝手に帰宅…。

そんなこんなを観ていて、ふと気がついた。

「そうか、1961年版だと、冒頭のストリートを闊歩するシーン以外、こんな大っぴらにナンバーが展開されるところはなかったんだ。」
(“America”はビルの屋上だし、“I feel pretty”は狭い店内でマリアの友人だけ、“One Hand, One Heart”も店内、“Gee, officer krupke”は路上とは言え、夜の設定だ。)

そんなこと言い出したら、「そもそも歌や踊りで感情(情念)を表現するミュージカルなんて、現実にはあり得ないことだらけ」なのかも知れないけどね。

なんか、どうもこう、生理的にしっくりこないんですよ、あたしゃね。

生々しいのはお好き?

さらに、物語の終盤、”The Rumble”。

ベルナルドがリフを刺してしまい、それに逆上したトニーがベルナルドにナイフを突き立ててしまうシーン。

これね、1961年版のコレクターズ・エディションのDVDに特典で入ってる、出演者のインタビューの中に、このリハーサルのことが語られてるんだけど、とにかくバーンスタインの音楽が難しいから、ピアニストがカウントを続ける中、繰り返しリハーサルしてる様子も観れるのですよ。


「ウエスト・サイド物語」ってのが痺れる…。
(かつて、劇団四季もこの作品名で上演してました。)

このDIsk2に入ってる「メイキング・ドキュメンタリー:“ウエスト・サイド・メモリーズ” 」ってのが、マニアには堪らないものとなっております。

冒頭のシーンなんかもそうなんだけど、こういうシーンの振り付けがね、ジェローム・ロビンスの、

「ミュージカルのダンスナンバーとして振り付けられいない」って言うのかな、

ドラマの中の表現として構築されているってことがすごいことなんだと思うわけです。

たかがミュージカル、されどミュージカル

自分の中では、「ミュージカルにおける芸術と娯楽の境目はどこか」ってのが、ずっと続くテーマ(?)なんだけど、

「ミュージカルってこういうものだよね?」的な、“待ってました感のある”持って行き方、運び方がそぐわない作品もあるんじゃないかな、と。

で、「ウエスト・サイド・ストーリー」はまさにその手の作品の最たるものなのかも知れないな、と、今回スピルバーグ版を観て考えたような次第。

あとは、1957年初演時のアメリカが抱えていた問題を、アメリカは未だに同じように抱え続けているんだな、と。
(人種問題、貧困問題、エニィボディーズで浮き彫りにされているのであろうLGBT、とか)

やっぱすごいよ、ウエスト・サイド・ストーリー

と、ここまで書いて、書こうと思えばまだまだ書けそうだという現実そのものが、「ウエスト・サイド・ストーリー」と言う作品のものすごさを何より語っているような、そんな気がした…。

感想いろいろ書いたけど、映画としての完成度はものすごく高いと思ったのも紛れもない事実。

脚本家の構成力しかり。

最後に、そう、今回の映画、ドゥダメル指揮のニューヨーク・フィルだと知って、これまた興奮、感動でした。

 

 

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