クラシックの訓練は、何を、どう、いつやるかが明確に示されている
劇団に入ってすぐ、クラシック・バレエとジャズ・ダンスのレッスンを受け始めた。
毎日、午前中にバレエ、ジャズと続けてレッスンを受ける。
高校卒業以来、運動らしい運動はしていなかったので、大体2ヶ月で約8キロ、みるみるうちに痩せていった。
バレエの用語についても全く知識がなかったので、とりあえず最寄駅の駅前にあった本屋に飛び込み、バレエに関する本を探して唯一見つけられたのは、「森下洋子の趣味のバレエ」みたいなNHKの講座のテキストだった…。
とにかくそれを買って帰り、カタカナのバレエ用語に片っぱしからラインマーカーを引いて、丸暗記した。
パッセ=通過する
パ・ドゥ・シャ=猫のパ(?)
こんな感じ。。
もちろん、用語を丸暗記したからと言って、次の日から何か変わるはずもなく、せいぜいが、
「むむ、もしや今の動きの一部が、あのグリッサードとかいうやつではないのか!?」
と言う程度のことである。
バーレッスン後のセンターになると、
「オジさん、邪魔だから退いてて、入んないで!」
と冷たかった先生も(ま、プロの集団なんだから当たり前なんだが)、あまりの動けなさが気の毒になったのか、
ある日ロッカーで『クラシック・バレエの技法』なる分厚い本を自分に差し出し、こう仰った。
「これ、貸してあげるから。できるようにはなりませんよ、わかるようにはなりますから。」
はい、ありがとうございます・・・。
ジャズダンスは駅前留学のようだった!?
一方のジャズダンスは、4人ぐらい先生がいて、曜日によって違ったり色々だった。
(バレエも3人ぐらいの先生から教わっていた。)
これが厄介だった。
先生によって、ウォーミング・アップも違えば、クロス・フロアーのやり方が違ったり、ピルエットのアームズの形が違ったり、頭の高さが違ったり(膝曲げて回る、とか、ハイ・ルルヴェ&ハイ・パッセだったりとか)して、アホみたいに初心者の自分は「ど、どれを覚えればいいの・・・?」と毎回泣きそうだった。
これは例えて言えば、アメリカ人とカナダ人とニュージーランド人にいっぺんに英語を習うようなものだ。
アメリカ人講師から教わったフレーズを使えば、イギリス人講師が顔をしかめ、
何度聴いても訛っているようにしか聞こえないニュージーランド人講師の発音を真似れば、アメリカ人講師が笑いを堪え・・・
「で、私はいったいどれを覚えればいいんですかね?」
状態な訳である。
その点、バレエに関しては「全然できないんだけど、やるべきこととその順番は明確」だった。
長い歴史の中で、アカデミックに学べる方法論が確立しているというわけだ。
(もっとも、ロイヤルとかワガノワとか、流派によって違いはあるのだろうが…)
「守・破・離」
人に教える立場からすると、バレエに限らず、この点がクラシックの強みだと思っていた。
(もっとも、歌に関して言えば、耳で聴いて判断するという点で、かなり指導者の主観的な価値観、指導法に流れてしまう傾向もあるとは思うのだけど…。)
武道で言えば、「守・破・離」の、守るべき型と手順が明確に示されることに近い。
このことをめちゃめちゃ的確に表現している文章が、今読んでいる本の中に出てきて、頷き(うなずき)過ぎて首が痛いのだが、その痛みと引き換えにしても、皆さんにシェアするべきと思うので、ここでご紹介しておく。
“私が、時々身体パフォーマンスとして、バレリーナの技術は素晴らしい、と書いているが、そのもっとも素晴らしい部分は、抜群の才能がない人でも取り組めて、誰でもバレエの香を味わえること、つまり、練習のメソッド(身体定規を確立させるための)が確立されていることだ。”日野晃著、新世紀身体操作論「考えるな、体にきけ!」より引用
大切なのは、“抜群の才能がない人でも取り組める”ことであって、当然ながら、この練習のメソッド(方法論)を用いて訓練したからと言って、誰でも上達するわけではないってこと。
さらに言えば、誰でもみんながプロに慣れるわけではない(と言うか、そもそもなれるはずがない)ってことにさっさと気づいて、客観的に(批判的に)自分を見つめ直せることがこの上なく重要なのだ。
その点でも、アカデミックに構築されたクラシックの訓練法は、「客観的なチェック・ポイント」が明確にある。
あとは、それをどう活かすか。
これにつきますな。
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