今日、電車に揺られながらふと思いついたことがある。
“矛盾”だ。
それがそんな矛盾かと言うと、呼吸に関しての矛盾である。
どうしてこんなことを急に思いついたかというと、「システマ」と言うロシアで生まれた格闘技(厳密には格闘技ではないようだけど、世間一般の認識としては格闘技のイメージが強いと思う)のベースにあるものが呼吸法であるということを知ったから。
北川貴英さんというシステマのインストラクター(と言う表現で良いのだろうか?)によれば、システマにとって重要な要素は
- 呼吸
- リラックス
- 姿勢
そして、
- 動き続ける
の四つなんだそうな。
「打撃の衝撃や痛みを呼吸で散らす」っていうのを見て、リラックスということについて改めて考えていたりしたのだけれど、そのことが頭の中でグルグル回り続けていたんだろう、きっと。
ここでいきなり本題に入ると…
通常、リラックスするためには息を吐くか?吸うか?
吐きますよね?でしょ?
要は息を吐く(呼気)のタイミングに合わせて筋肉を弛緩させてるわけだ。
そして息を吸う(吸気)のタイミングで筋肉を収縮させる、と。
ところが、歌で声を出しているときにはどうだろう?
息を吐く時に、筋肉は…?
もちろん、リラックスしていた方が良い部分もあるけれど、収縮し続けられないといけない部分もあるはずなんだな、これが。
怒りに打ち震える時、
悲しみに打ちひしがれる時、
筋肉は収縮している。
となると、吸う時は?
弛緩できる筋肉でないといけない。
そのためには、リラックスですね、行き着くところ。

システマやジークンドー(ブルース・リーが創始者であるマーシャル・アーツ)でも共通しているようなのは、打撃のインパクトの瞬間の拳以外はリラックスが基本ということ。
これって発声のアインザッツ(起声)にも共通しているに違いない。
はて?では、この呼吸の矛盾(リラックスとエネルギーの集約、弛緩と収縮)をどう受け止め、例えば教育の現場で、どんな風に展開して、どんなやり方で伝えていくのが理想的なのか。
身体性と言う点では、システマに限らず、呼吸というのは本当にいろんな武術に含まれる要素なのであろう。
気がつくと、やっぱり呼吸(法)に舞い戻っている。(笑)

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