読書の意味と意義、そして文字と空間。

文字は必要悪?

文字で伝えることの難しさについては、日々感じている。

仕事のメールを打つ時、1通書き上げて送信ボタンを押すまで1時間かけることもザラである。

まずはとにかく、必要な情報が間違いなく伝わるように。

そして、必要な情報が間違いなく伝わるためには、相手が“自分事”と感じられるようにできるかがとても大切。

 

自分の発信を「受け手が“自分事”として感じられるようなものにするには、当然そこに知識や(ある種の)技術、つまり語彙や文章力が必要となる。

そして、その語彙や文章力を身につけるには、何と言っても読書が一番の近道なのだ。

 

若い頃、そうした知識や技術が一番磨けた筈の時代にあんまり本を読んでこなかった自分は、今になって後悔の日々を送っているだが、その点は後のまつりという話もあるので、普段はわざわざ触れることはない。

そう、この「自分なりの正解」でいいんだよね、まずは。

それがなかなか、そうは思えない。

 

人が評価し、採点する「正解」を手っ取り早く知ろうとしちゃうもんなんだ。

それも、求めているのが、自分が心から尊敬できる人からの評価とかであればまだ問題ないだろうけど、組織のヒエラルキーで自分より上位に位置するだけだったりすると、状況はよろしくない。

 

「文字を空間に起こす作業」、これなんかまさに机上の空論とも言えるような文字の使い方、言葉遊びに過ぎないような悪例の最たるものを、炙り出す作業。

 

これを司法の場で、周防正行監督が挑んでいるという事実が、映画というものが世の中にとって不要不急でないことの証明にもなるような気がしてならない。

 

文字、そして言葉の持つ力とそれを扱う人間の品性とでもいうのだろうか、その組み合わせによって、全く異なる影響力が現れる事になる。

Wisdom, Intelligence, Knowledge, Sense, Wit…

おそまきながらだろうが何だろうが、学ぶことを止めてしまってはいけないなぁ。

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