ふわりとした話

「音楽における自由というのは、自分の好みや気持ちに合わせて、規則を破れるように規則を知っている能力だ。」マイルス・ディビス

ミュージカルというものに音楽という側面から仕事で関わると、必ずついて回るのが、原語と翻訳、つまり

原詞と訳詞

である。

もっと厳密に言うと、日本語の訳詞をはめ込むために、ほぼ全てのケースで元の楽譜の符割りを変えなくてはならなくなるのだ。

これって意外と繊細な問題で、なぜなら、

「元々、外国語(ほとんどの場合は英語)で書かれたものを日本語で歌うんだから、符割り(音符のリズム)は変わって当たり前」

って考え方と、

「原語の言葉のリズムに合わせてこの音楽が生まれているんだから、いくら日本語に訳したからって、そうそう勝手に符割りを変えるのはどうなのか?」

って考え方の、両方があるわけで…。

ただ、前者は「変えてもOK」として、タガが外れたら、どこまでも音符の数を変えられることにもなりかねないし、そもそも日本語の歌詞のはめ方って、かなり主観的な部分があって、「こうハメた方が自然な日本語に聴こえる」と感じる符割りが人によって違うことも多いのだ。

 

さらに言えば、元の譜面の原詞の下に日本語歌詞を書き込んだとして、元の言葉のリズムと違う符割りをスタッフや出演者が共有するまでに時間がかかるので、気をつけないと、バスの中の伝言ゲームのように人によって微妙にリズムが違ったりしていくのが重要チェックポイント。

まぁ、あとはそういう差異をどこまで許容するか、って線引きを、そもそもするのかしないのか、ってことからして、少々複雑な問題ではあるわけで…。

 

符割りの話はけっこうシビアな問題で、実は意外と「ふわりと」はこなせないものなんです、と言うお話。

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