人生は後ろを向くことでしか理解できない
新国立劇場中劇場で上演されている、S・ソンドハイム作詞作曲の「Merrily We Roll Along」を拝見。

初台の駅に電車が着いた時にふと目を上げると、そこにはものすごく大きな男が・・・。
同じ新国立劇場のオペラパレスで上演中のG・ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」でメイン・キャストを務める芸大の同級生でした。
S・ソンドハイムの作品は、どちらかというと玄人ウケするタイプの作風で、劇団四季のALウェバー作品やディズニー作品、東宝のブーブリル&シェーンベルク作品、クンツェ&リーヴァイ作品のように繰り返し上演されるものではないので、タイミングを逃すと観れずに終わることも多いのですよね。
そうでなくても、「あ、これ観てみようかな。」と思いながらも、気がつくと終わっちゃってる公演って結構あるのです。
「Merrily…」も、“Old Friends”や“Not a Day Goes By”、“Our Time”みたいに、ソンドハイム・コンサートなんかで聴いて知ってはいたものの、作品本編の、どんな場面で誰がどんな状況(心境)で歌うのかは知らなかったので、このタイミングで観れて良かった。
「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」松下幸之助
冒頭に書いたように「人生は後ろを向くことでしか理解できない」(今回プログラムで知った、Netfilx制作の「Merrily…」のドキュメンタリー映画冒頭で語られる台詞だそうだ)は真実で、 と同時に、ある程度年齢を重ねないと実感が湧かないことなんだろうと思う。
これは、「La La Land」を観た時にめちゃめちゃ思ったことで、あれなんかもう、オジさん切な過ぎて観ていられないぐらいだったのだ。
わかるかな?わかんねぇだろうなぁ…。
(松鶴家千とせのこの名フレーズも…湧かんねぁだろうなぁ。)
要するに、「Merrily…」も「La La Land」も人生の黄昏時にさしかかった人間からすると、
「どんなに悔いても過去は変わらない、人生は後ろを向くことでしか理解できない」
ことを悟ったその心に染み渡る、大人の作品なのだ。
オジさん、しんみりモードの図
ソンドハイムの作品の根底にあるもの
以前、オスカー・ハマースタインⅡ世の作品について修士論文書くために、ヒィヒィ言いながら彼に関する洋書を読んでいた時に、ハマースタインがソンドハイムの養父であることを知った。
ソンドハイム自身の親との関係性についてもその時に知った。
ハマースタインの最初の結婚や、2度目の結婚についても。
カウンセリングを受けたソンドハイムに、ハマースタインが「どんな風だったか」質問する場面なんかもあった。
ハマースタインの書く脚本の、あの、どこか品行方正な匂いと、ソンドハイムの書く作品(音楽)の、あの、どこかクリスタルの構造物を斜に構えて覗き込んだような不思議な響きは、彼らの顕在意識と潜在意識をそのまま映し出したものに違いない、と考えるようになった。

ハマースタインもソンドハイムも、めちゃめちゃナイーヴな人に違いない。
勝手にそう思い込んでいるだけなのかも知れないけれど…そう信じている。
なんか、そんなこんなを考えていたら、無性にソンドハイムの音楽が聴きたくなった。

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