ミュージカルと動画と教育と昭和な私

昨年から、新型コロナ・ウィルス感染拡大に伴って、大学の講義もオンライン対応を余儀なくされ、当初は動画撮影・編集、YouTubeへのアップロード、zoomの活用などなど、とにかく慣れないことだらけの毎日を必死に過ごしてました。

そのおかげで、とかく時代の波に取り残されがちな50代のおっさんが、そういった知識や技術(というほどのことでもないが)に慣れることができたのは不幸中の幸というか…有難い話です。

劇場界隈でも、舞台作品のリアルタイム配信という、これまで選択肢としてはあまり考えられることのなかった、お客さんへの提供の仕方がかなり重要な役割を果たしつつあります。

 

舞台芸術というのは

「時間と空間を、演者と観客(ともちろんスタッフ)で共有する」

もの。

「共時性(が正しい表現なのか?)がものすごく重要」

ということを大前提にした上で、

 

いろんなツールやシステムを、新らしいやり方で取り入れていく必要はありますね。

 

実際、自分たちが受験生や学生時代、カセット・レコーダーというものがあったからこそ、それを躊躇なく練習その他の場面で取り入れたからこそ、限られた時間やそこそこの才能しかなくても辿り着けた場所というのがあったに違いないと思ってます。

 

劇団時代、資料用の上演録画(VHSビデオ)をテレビ画面上をペンで追いかけながら、ミザンセーヌを書き留めながら、役を追っかけたものでした。

ダビングによって画質の落ちたビデオなので、舞台上の照明が暗いシーンでは誰が誰かわからないことも多く、エラく苦労するのも当然と言えば当然でした…。

 

例えば、レッスンや試験の様子を録音・録画することは、技術の向上のためには有効です。

ただ、(本来)劇場という空間で、共演者や観客の呼吸、その反応を肌で感じながらリアルタイムで進行していく舞台作品中に身を置く人間が、事後(終演後)にその録音や録画がチェックできることを前提にその(本番の)時間を過ごすという状況が果たして理想的な状況なのかどうか?

 

 

才能があって、訓練を経て、プロとして場数を踏んだ人間が集まっている場合には、時間的な制約がある中でも効率的に作品を創り上げていける可能性はあります。

しかし、そうした条件下にない場合には、利用できるものは利用してコトを進めないと、時間などいくらあっても足りません。

教育、育成の現場なんてまさにその最たるものですし、

舞台作品の中で言えば、おそらくミュージカル制作の現場は「時間がいくらあっても足りない」という点で最強です…。

 

そんなわけで、「ツールやシステムなど今利用できるものをどう利用するか」について、コロナのおかげで考える機会を得たのかも知れないとも思います。

 

「今あるもの、手に入るもの、今の自分にできること、で創意工夫する」の連絡だったわけです、昨年から。

 

その点、最近の機材は値段も手頃で、性能も優れてるものが簡単に手に入るので、驚きますね。

例えば…

こんなサイズのカメラを、

 

こんな風にセットして、

 

こんなに広い範囲が、

 

(参考資料とするには全く問題ない画質で)録画できるだからスゴイ。

これで数千円、コスパ高いです。

昭和のおっさん的には、本当に驚異の世界です。(笑)

 

(スカイダイビングしたり、サーフィンしたりするのでなければ、GoP××までは必要ないと思ってるので…。)

 

今後は益々こうした機材や技術、動画の撮影や編集、共有や配信の手段を、

「どんな形で取り入れて、活用して、何をどんな風に表現するのか?どんな作品を創り上げて、誰に届けるのか?」

を考える時間が大切になるような気がします。

 

柔軟性、可能性。

 

あとは、

「何をどう定義し、どこまでを許容範囲とし、どこを目指すか?」

です、きっと。


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