あなたにぴったりなボイストレーナーの見つけ方

“だれに何を教わるべきかということを見定めていくこともまた指導を受ける側には大切”

自分に合ったボイストレーナーの選び方の答えはこの一文の中にある。

学生時代、ボクには3人の師匠がいた。

1人は芸大で専攻の声楽レッスンを担当してくださっていた師匠。

もう1人は、フースラーというメソッドに基づいて身体の使い方の基本から叩き込んでもらった、文字通りトレーナーであった師匠。

さらにもう1人、当時有名な日本人テノールを数多く育て「イタリアものの発声ならこの人」と言われ、弟子希望者が列をなしていた、独特の発声法を教えていた師匠。

なぜ、こんな風に複数の師匠のもとで学んだか。

さらに、並行して複数の指導者に教わって、混乱することなくそれらの教えをプラスに活かせた理由は何か。

  1. 理想と現実を見ていたから(=自分がショボいと知っていた)
  2. 師匠に心酔していなかったから

 

1.について説明すると、

オタク気質のボクは、当時秋葉原駅前の石丸電気の輸入盤売り場に行っては、廉価版のLPレコードを買い漁り、それをカセットテープにダビングしては、朝から晩まで聴いていた。

すると、LPレコードから聴こえてくるオペラ歌手の声と自分の声に、何か違う音色が聴こえる。

考えてみれば当たり前だ。歴史に残る名歌手(廉価版で再プレスされるということは、それだけの名盤、つまりは名歌手だということになる。)と、一浪してやっと芸大入ったカスとおんなじ声が出るはずが無い。

ところがそんな風にも発想できないおバカな自分は、「何故だ?この歌手の声には、明らかに自分の声には無い音色が聞こえる…。」と真剣に考えた。

これ、ある意味非常に客観的に自分の現在地と目的地のギャップを確認していたことになる。
憧れとかいうニュアンスではなく、非常にドライに捉えていた。

 

次に、2. に関しては元々の性格的なものだとは思う。
基本、人を信用していないというか、人を信頼できない、頼れないところがある。

歌の師弟関係でありがちなのが、自分の先生に心酔しきって「私の先生はとにかくすごい」と周囲に熱く語る割に本人は上達(成長)せず、側から見ていると「新興宗教にハマってしまったちょっと煙たい存在」みたいな人、少なくない。

自分はこうはなり切れず、とにかく「自分が理想に近づくために必要なノウハウ、方法論はこの人が持っている」というスタンスで、それぞれの師匠から真摯に、積極的に学んでいた。

その「いいコーチ」とはどういう人か。いいメンターとは果たしてどういうものなのか。それは、その選手がコーチというものに何を求めるのかでも違ってくるし、そのコーチがどういう理念のもとにどういう指導をする人なのかによって、相性も違えば成果も変わってきます。
(室伏広治『ゾーンの入り方』)

まさにこんな感じ。

そう考えると、パフォーマーとアスリートの指導法というか成長法は実に近いものがあると、改めて思う。

「練習は、ただ一生懸命にやればいいというものではありません。練習には、逆効果となることもあるのです。そう断言してもいいほど、「何のために何をどのようにどれぐらいやるべきか」を正しく見定めて練習することが大切なのです。」

そもそも、自分の歌唱力を上げるためには、1人こもって繰り返し稽古(トライ&エラー)して、そこから自分なりにコツを掴んでいくのが“当たり前”のルートなのです。

その時に、ただ闇雲に大きな声を出すとか、高い声を雄叫びのように上げ続けることは、上達する上で効率的とはとても言えない。

道筋は自分の中で見えている必要があるけれど、闇雲は避けるべき。

「自分が正しいと思ったことでも、間違っていることはある。
人の話に耳を傾けられなくなったら成長が止まる。」

 

どこか覚めた目で理想と自分のギャップを捉え、その合間を埋めるべく必要なスキルを手に入れる。

そのスキル、ノウハウを持っている師匠、マスターを見つけ出すのが近道なのだ。

そんな師に出会えたら、素直に従い、もちろん、あとはひたすら練習、練習、練習。

「才能のある人は、練習の一部は娯楽になっている可能性がある。しかし、才能のない人たちにとってみたら、練習は苦役でしかない。」(為末大「諦める力」)

そう、この娯楽になってしまうような練習方法、いわゆるノウハウ、メソッドと呼ばれるような方法論を持っている師匠を見つけ出せるかどうかは、自分の本能的な勘が頼りなんだ。

室伏広治「ゾーンの入り方」

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