ミュージカル俳優に向いている人、いない人

その夢、いつまで追い続けますか?

努力すればどうにかなるという考え方だと、成果を出せないままズルズルと続けてしまいかねない。

これは、為末大さんの「諦める力〜勝てないのは努力が足りないからじゃない」の中の一文だ。

為末さんの本は、当然ながらスポーツ選手、特にオリンピックを目指すレベルのアスリートに焦点を当てて書かれたものなのだけど、

そっくりそのまま、役者、俳優に当てはまるケースがほとんどなのだ。

特に、自分が関わってきたミュージカルの舞台を目指す、もしくはミュージカルの出演者として生きている若い人たちのことを書いてあるんじゃないかと錯覚するぐらい、切実な内容に感じる。

世の中には、自分の努力次第で手の届く範囲がある。その一方で、どんなに努力しても及ばない、手の届かない範囲がある。努力することで進める方向というのは、自分の能力に見合った方向なのだ。  自分とは違う別人をモデルにして「あの人のようになりたい」と夢想する人は多い。そのときに気をつけなければならないのは、その人と自分の出発点がそもそもまったく違うということだ。

一見華やかなミュージカルの世界、いわゆるミュージカル俳優に憧れる若者たちはたくさんいる。

なんと言っても綺麗な衣裳を着て、照明を浴びて、歌って踊って“楽しそう”だし、客席からの拍手を受けて晴々とした表情でカーテンコールにあらわれるその様子は“幸せそう”に見えるから。

「あの人のようになりたい」

「自分もあんな風に歌って踊ってみたい」

そう思うのも無理はない。

 

憧れの存在を持つなとは言わない。ただ、自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうかということを、しっかりと見極めるのは非常に大事なことになってくる。


・自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうか

この点については、実はスポーツ選手よりミュージカル俳優の方が見極めが難しい。

何故ながら、スポーツであれば記録という客観的で具体的な判断材料があるから。

 

一方のミュージカル俳優には…ない。

もし、数字として測れるものがあるとすれば、知名度と集客力(チケット販売数)ということになるのかも知れない。

三五歳まで競技生活を諦めなかったアスリートが、社会経験がまったくない状態で就職活動をしたとしても、採用してくれる企業はほとんどない。そのために、生活が相当苦しくなっている元アスリートを、僕は何人も知っている。

ミュージカル俳優を目指す若者から、

「なかなかオーディションに受からないんです。」

と泣き言を聞かされることがこれまで何度もあった。

 

その度に、

「わかるよ、キツイよね。…でもね、最初のオーディションに受からないことより、ある程度キャリアを積んだ頃に『次、何に出るんですか?』って訊かれて答えられない(=何も決まっていない)時の方が百倍ツライよ?」

と答えてきた。

 

誰だって、最初はゼロからのスタート。

有名芸能人の子どもとかでもない限りは、ゼロからのスタート。

そこから積み上げていくしかない。

もちろん、その前に何年もかけて磨き上げたダンスや歌のスキルを持った上での話であるけれど。

さらに、そうやってキャリアを積み重ねていった先に一夜にしてバラ色のキャリアが花開いてくれれば言うことはないけれど、現実にはそうじゃない場合がほとんどだ。

一つ一つ経験を重ね、少しずつ自分自身に「プロの」自覚が芽生え、30代、40代と歳を重ね、キャリアを重ねたその先に、残酷にもチャンスが減っていくという現実に突き当たる。

確かにつらい時期を耐えたら成長はあるだろう。でも、成長と成功は違う。この違いに気づかないふりをする罪は大きいと思う。

 

「諦めなければ夢はかなう」 「夢を諦めない強いハートがあったから、成功できた」  オリンピックのメダリストを目指して、何万人ものアスリートが努力している。みんな諦めなかったけれども、それでも結果が出ないのが現実だ。

いっそ舞台出演の機会が全く無くなれば、キレイさっぱり諦めもつくだろう。

でも、そういうものでもないからタチが悪い。

年に2本とか3本、かつて出演した作品の再演とかで声がかかる。

すると、後ろ髪をひかれ、ついつい…となる。

 

でも、それだけで生活できるわけじゃない。

何か手立てを考えねばならない、となった時に一番手っ取り早いのは「指導者」として仕事をすること。

そう、「夢は叶う」を合言葉に。

子どもたちや若者を指導するコーチも、そうした数少ない成功事例をインセンティブにしたほうが、アスリートのやる気を引き出すことができる。実際にはそんな夢のような話はないということに大人は気づいている。

今まで、いろんなところで話したり書いたりしていることだけど、学生時代、ロシアのマイヤ・プリセツカヤというプリマ・バレリーナが来日した際、インタビューで

「日本でもバレリーナを目指す人たちが沢山います。日本のご覧になってあなたの母国との違いはどんなところだと思いますか?」

と訊かれた彼女はこう答えた。

「そうですね、あなた方の国はやりたい人がやっています。私の国ではやるべき人がやっています。それだけの違いだと思いますよ。」

 

また、ミラノ・スカラ座の引越し公演で、ピエロ・カプッチルリという名バリトン歌手がインタビューで、「オペラ歌手を目指す若者にとって重要なことは何でしょう?」との質問に、

「まずは指導者が『あなたには向いていない』と言ってあげることが大切です。」

と答えていた。

 

遥か昔の記憶なので、具体的な質問の具体的な文言なんかは多少脚色してしまっている可能性はあるものの、そのコメントのストレートさに受けた衝撃は忘れようにも忘れられないので、内容的にはさほどズレていないはずだ。

何たって、自分自身、夢と希望に溢れて上京したばかりの頃だったから。

 

その後、何年も経ってた劇団時代、初めてロンドンに行ってウエストエンドでミュージカルを観た時の正直な感想は、

「こりゃ、観るもんで、俺たちがやるもんじゃないな…。」

だった。

 

かつて「おヒョイさんになりたい」という藤村俊二さんの生涯を書いた本にも、日劇ダンシングチームの一員としてヨーロッパに渡った藤村さんが、向こうで観た舞台に衝撃を受け「間違っても日本人にミュージカルなんかやって欲しくない」ぐらいに思った、というエピソードが載っていた。

もちろん、本人が自分の実力や周囲の状況をきちんと見極めた上で続けることは、他人がとやかくいうことではないし、「継続は力なり」は真であるとも思う。

為末さんの本にも、こんな一節がある。

「私はこれを好きでやっている。たぶん成功しないこともわかっている。でも、好きでやっているのだからそれでいい」  これが割り切っている人の考え方である。

と同時に、こんな一節も。

一方、割り切っていない人の考え方はこうだ。 「私にはこれしかない。今以上に努力を続けていれば、いつか成功できるはずだ」

これが冒頭の、

努力すればどうにかなるという考え方だと、成果を出せないままズルズルと続けてしまいかねない。

につながっていく。

 

「今まで一生懸命やってきたし、続けていれば希望はある」  こう考える人は、もしかしたら自分を客観視できていないのかもしれない。一生懸命やったら見返りがある、という考え方は、犠牲の対価が成功、という勘違いを生む。

「一生懸命やっていれば、必ず誰かが見ていてくれる。」

とよく言う。

これを信じるも信じないも自分次第と思う。

これまでの自分のキャリア、転機、今の演劇界、ミュージカル界の状況、自分が接する若者たち。

(ここにあげた以外にも、とにかく自分たちの関わる業界と重なる部分がたくさん出てきて、頷きながらも正直切なさが半端ない。)

ここまで、同化して読む本に出会うことも、そうそうない。

自分自身、未だ答えは出ていない。

為末大「諦める力」

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