ボクが子どもミュージカルを苦手なわけ

「インプットがないのに、アウトプットは出来ません。」手塚治虫

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いきなりですが、自分、いわゆる“子どもミュージカル”が苦手です。

何故かというと、大してインプットしてもいないのに、アウトプットすることが目的になってしまう場合が多いように見受けられるから。

場合によっては、子供の可能性の芽を摘んでしまっていることだってあり得る。

インプットが先、アウトプットが後。

これ、ごく自然なことでしょ?

赤ん坊だって、まず聴いて言葉を覚えるから、次に(最初はそれが「バブバブ」としか言えなくても)アウトプットにつながるわけで。

良い舞台を沢山観る(吸収する)ことで、歌い、踊り、演じることの幅が広がる。

多くの人に会い、沢山の本を読むことで、語彙が増え、細かな感情のひだが育まれ。

そう思うんだよなぁ…。

ミュージカルに限らず、ごくごく当たり前のことのように思うんですが、

インプットの質と量がアウトプットの質を左右する

って、ものすごくうなづけません?

手品にしろ、料理にしろ、演奏家にしろ、

「ハイレベルなものを浴びるように経験した中から生まれるものはどんななんだろう?」

そう想像するだけでワクワクします。

鑑定士を育てる時に、素人考えでいくと「本物と偽物を交互に見せてその違いを学ばせる」ってのが順当な気がしません?

ところが、正解は

「とにかく本物だけをガンガン見せる(経験させる)こと」

なんだと聞きました。

とにかく本物だけをガンガン見せる。

で、ある日、しら〜っとその中に偽物を一つ忍び込ませておく。

そうした時に、それに違和感を感じた修行中の弟子が、

「あれ?親方、これ、何かおかしくないですか?」

と気づけるかどうかなんだそうですよ。

子どもミュージカルの話でいくと、例えば

「お友達がスタジオの発表会にキレイなドレス着て出て歌い踊り、拍手喝采を受けていた。」

と。

そこが出発点(「あたしだって」「あたしこそ相応しい」みたいな人の性)になると、その後からはインプットの質と量はどうしても増えにくくなりがち。

自分から「あれやりたい」と言えるような子は、ある意味積極性があるわけで、子供のうちは飲み込みが早かったり、パワーがあったりするので、けっこうまわりから一目置かれちゃったりとかする。

それが、いわゆる思春期を迎えるあたりで頭打ちになったりしがちなところ。落とし穴です。
(海外の有名子役とかこれの最たるものでしょう、きっと。)

インプットがガクンと下がるわけで、大人なだらまだしも、子どもはそれに気づけません。

ここまで読むと、賢いあなたは既にわかってきてると思うんですが、これ、

ミュージカルに限った話じゃありません。

どんなジャンルにしろ、

インプットの質と量が下がれば(止まれば)、アウトプットの質と量も下がり(止まり)ます。

学び続ける、インプットを楽しみ続けられることが何よりもまず重要なこと。

そして、その質を担保する存在が身近にいることがめちゃ重要となります。

コンピューター用語(?)でも GIGO(Garbege in Garbage out=「ゴミを入れればゴミが出てくる」)って言うぐらいです。

あなたの身体はあなたが食べたものでできている。
(実際には適度な運動もかなり大事ですが)

ということは、

あなたの表現は、あなたの脳が受け取ったものでできている。

インプットの質と量、増やしましょう、高めましょう。

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