リベラルアーツと音楽と演劇の関係性

すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる

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できれば、“教養ある人間”に成りたいものだ、と思う。

そう言いながら、「教養って、いったいなんだ?」とも思う。

教養と関連して良く目にする、耳にするキーワードはおそらく“リベラルアーツ”だろう。

ってな訳で、まずはリベラルアーツについて考えてみたい。

“リベラルアーツ”とは「人を自由にする学問」

リベラルアーツは、ギリシャ・ローマ時代に源流を持つ体系化された学問で、ヨーロッパの大学ではそれが学問の基本とされている。

リベラル(liberal)は自由、アーツ(arts)は技術とか学問、芸術の意味で、

リベラルアーツの具体的な内容はと言うと…

  1. 文法
  2. 修辞学
  3. 論理学
  4. 算術
  5. 幾何学
  6. 天文学
  7. 音楽

の7つ。

修辞学(弁論、演説術)とか、どんなものなのか何となく意味はわかったつもりではいるものの、改めて調べてみた。

すると、

「言語学、政治術、思考法、話の構成法、感情分析、演技論などの総体」

とある。

なんと、演技論って言葉が含まれているではないか。

ってか、言語学、思考法、感情分析、なんてものは、そっくりそのまま演技論に含まれそうである。

そして、リベラルアーツには元々音楽も含まれている。

(これは、ヨーロッパにおいて音楽はそもそも宗教的な要素が大きいので、当然と言えば当然なのかも知れないけれど。)

あらゆる偏見や束縛から逃れ、自由な発想や思考を展開できるような人間になるために欠かせない学問

の中に、音楽演劇(修辞学に含まれる演技論)が存在するということ。

これって、けっこう大きな(重要な)ことだと思うんだけどなぁ。

例えば、楽譜を読む力を身につけるためには、時間が必要なわけで、「誰でも今すぐ簡単に」というわけにはいかない。

楽典、ソルフェージュ。

音大受験生だった頃には、声楽とピアノのレッスン意外にも、こうしたレッスンに通ってたもんなぁ。
(聴音と新曲視唱は劣等生で「音に我苦しむ」と書いておんがくだった。)

演技も“論”として学ぼうと思ったら、かなり忍耐強く時間をかける必要があるはず。

かつて、ある作品に出演した時に、ある演出家が若手チームに

「気分でやるなよ!気分と気持ちは違うんだ。」

とダメを出していたことがあって、「なるほどなぁ。」と。

役者自身の「こんな風にやってみちゃおうかな。」ってのは気分で、役柄の気持ち(感情と言い換えても良いかも知れない)を表現するための台詞というものは、もっと論理的に構築されているものだということが前提なのだろう。

演技を論じられるレベルにまで到達するためには、生半可な気持ちではいけないのだ、きっと。

自由になるために欠かせないもの、だったんだよ。

音楽も演劇も。

自由になるために欠かせないもののはず、なんだよ、今でもきっと。

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