「どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ。それは、自分自身で見つけるものだ。」ボブ・マーリー
「RENT」というミュージカルの中に、“Seasons of Love”という曲がある。
そこでは、「あなたは1年を何で計るの?」と歌われる。
卒業式から入学式、そろそろ桜の季節を迎える今は、“Seasons of Cherry Blossom”。
「あなたは一生を何で計るの?」と問われているような気がするのは、もしかしたら自分にとっても何かから卒業すべきタイミングなのかも知れないなんてことを考える。

春の宵、桜が咲くと・・・
教え子くんたちを送り出す卒業のシーズンを迎える度ごとに、自分の学生時代と卒業についても思い出す。
ただし、ここ2年ほどは「自分の卒業の頃を思い出す」というよりは、
「人生そのものを振り返させられる。」
と言った方が近いような気がしている。
昔、小学校や中学校の卒業式で、卒業生代表が読む答辞に必ず
「この○年間の日々がまるで走馬灯のように蘇ってきます。」
って決まり言葉が入っていたけど、まさにそんな感じ。
(もっとも走馬灯の現物がどんなものか、実は今いちピンと来ていないのだけど…。)
大学の入学式がメインで(たぶん、上野の桜があまりに印象的だったからだと思う)、これまでの人生のいろんな場面が差し込み画像のように蘇る。
「思い出はモノクローム」
なんて歌があったけど、意外とそれなりに鮮やかに色は使われている。
「ほんと人生なんてあっという間だな。」というのが正直な心境。
まさしく「青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの」である。
(やはり、阿久悠という作詞家はスゴイ人だ。)
自分にとっては中田喜直作曲の「桜横丁」が大学入学式にタイムトラベルするアンカリング・ソングだ。
(ふと「パーソナル・ソング」というドキュメンタリー映画を思い出してしまった。←観たことない方は是非。)

卒業の意味づけは…
卒業の言葉の意味を調べてみれば
- 「学校の全課程を学び終えること」
- 「ある段階や時期を通り過ぎること」
とある。(AKBとかは後者ってことか。)
学生としての卒業は前者だけど、人生という基準で捉えた時の卒業は後者ってことになる。おそらく。
でもって、かのアドラー心理学によれば、
「人は誰もが同じ世界に生きているのではなく、自分が“意味づけ”をした世界に生きている。」
「同じ経験をしても、意味づけ次第で世界はまったく違ったものに見え、行動も違ってくる。」
とのことなので、要は
「何をもって、“卒業”と呼ぶか」
「卒業にどんな意味を持たせるか」
「その“卒業”をこの先の人生へのどんなステップにするか」
は自分の意味づけ次第ってなことになる。
ボブ・マーリー先生もおっしゃっているように、
「どうやって生きるか」なんてことは誰にも教えられないんだよ、それは自分自身で見つけるものなんだ。

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