僕が天才の脳を借りるために考えていること
モデリングという言葉を聞いたことありますか?
元々は心理学の用語なのかな?
何かしらの対象物をモデル(見本)にして、その動作や行動を観察し、同じように動作や行動することです。
NLP(神経言語プログラミング)というジャンルでは、目に見えるものだけを真似するのではなく、
信念や価値観、内的コミュニケーション、五感(何がどんな風に見えて、聞こえて、感じているか)
などもコピーすることによって、モデルと同じ結果を導き出せると考えられています。

スポーツにしろ、音楽にしろ、優れた結果を出した人物をモデリングすることは、成功に近づくためにはとても有効な手段です。

ただ、盲点が一つあって、それは、
我々が手に入れられるモデルの動作や行動は、そのほとんどが結果であって原因ではない
ということです。
試合で新記録を出した映像
演奏会で素晴らしいパフォーマンスをした映像

それらは全て、モデリングの対象者が、五感を通して考え、行動した最終的な結果なのです。
ボクたちが本当に手に入れるべきもの、知るべき情報は、むしろ、彼ら彼女らがそこに至るまでに、
何がどんな風に見え、聞こえ、味わい、感じ、考え、行動し、その結果をどんな風に受け取り、改善し、
そこに至ったか、という事に違いありません。
第三者の目から見た映像ではなく、むしろPOV(ポイント・オブ・ビュー)、
モデリング対象者の頭を被った、脳を借りた、その肉体に乗りうつったかのような疑似体験こそが必要なんです。
そういう情報というのは、ご本人のパフォーマスそのものよりも、むしろインタビュー記事やその人自身が書いた言葉(ほん)から得られる機会が多いです。
言葉を通してしか何も考えることができない以上、自分以外の人間が何かをどう“受け取り”、“感じて”いるかを知るには、言葉を通してそれを知り、自分の中で再生するしかないのです。(まるで濃縮還元です。)
こういう例えはどうかと思うのですが…恐山のイタコ状態です。
ただ、そうした情報というのは、モデリング対象者の語彙と表現力に左右される部分も大きいので、イタコ的に言うと、乗りうつるのに苦労したり、乗りうつったはいいが一向に何も見えてこない場合もあり得ます。
天才の脳を借りるのも楽じゃありません。
ところが今回、実に痛快に、天才の脳を借りることができそうな本に出会いました。
- 情報を制限して、観客のパーソナルに入り込む
- 変な人であることを認めつつ、自分の普通さを死守する
- 自分で決める力をやしなう
- 知識は経験と組み合わせて糧にする
- 「力のある表現」と「激しい表現」とは違う
目次を眺めてるだけでも自分の中に何かが染み込んできます。
これはもちろん、この方が作家であり、パフォーマーであり、そして何よりクリエイターでアーティストであるから故の語彙力と表現力のなせる技だと思うのです。
同時におそらく、試行錯誤に費やしている圧倒的な時間と熱量・・・。
演劇関係者は是非読んでみるといいですよ。
最初の部分を読み始めただけで、「この本、あたり!」と思いました。
コスパ相当高いです、この本。
僕がコントや演劇のために考えていること/小林賢太郎(幻冬社)
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