悲しくてやりきれない

悲しくて悲しくて とてもやりきれない この限りないむなしさの 救いはないだろうか

ボク個人は全く何のつながりもないのですが(直接お会いしたことはもちろん、残念ながらその舞台も拝見していないので)、かつて仕事でご一緒した複数の方々が、三浦春馬さんの四十九日にその想いを発信していらっしゃいました。

そうした発信の数々を拝見していると、三浦春馬さんという方が、どれだけ人に優しく、丁寧に接していたか、芝居に対して、舞台に対して真摯に向き合っていたか、何よりご本人がどれだけ純粋だったかが伝わってくるような気がして、切なくなります。

同業者、関係者だけでなく、応援していた方々、彼に元気を貰った方、勇気を貰った方、その笑顔に癒された方、お一人お一人が同じ切なさ、虚しさを抱えているように思えて仕方ありません。

 

(私事になりますが)数年前に母がこの世を去った時、

「普段見慣れた景色、その変わらない景色の中に、いるはずの人がいないこと」

「今、会えないことはわかっても、この先もう二度と会えないということが理解できないこと」

その虚無感は表現し難く、誰にどう伝えて良いのか、伝えたいのかさえわからず、ただただその時自分の目の前に見える風景をぼんやりと眺めていました。

 

何か、この感覚に答えてくれるものはないのかと、人の生死に関する本を読んだり、悶々として過ごす時間の中で、ふと思い出した曲のタイトルがありました。

「悲しくてやりきれない」

という曲でした。

 

「あぁ、まさにこれだ。」

そう思い、その時、改めて曲を聴きました。

(曲のサビの部分は知っていましたが、歌詞も含めて、全曲をちゃんと聴くのはおそらく初めてだったんじゃないかと思います。)

恥ずかしい話ですが、涙が止まりませんでした。

 

それから毎日、風呂を掃除しながら、ボロボロ泣きながら口ずさんでいました。
(客観的に考えれば、50過ぎのオヤジが泣きながら、しかも歌を口ずさみながら風呂を掃除する絵というのはドン引き以外の何物でもありません…。)

 

ただ、

前から知っていた音楽が、全く違った意味を持って自分の中に染み込んだ

んです。

 

「あぁ、音楽ってすごいな。こんな形で音楽に救われるってことがあるんだな。」

音楽を始めて40年以上立つのに、今更ながら、そう感じた瞬間でした。

 

もちろん、聴いたその瞬間から元気になれるはずがありません、それだけ悲しみが深いんだから。

聴いた次の日から過去を忘れて生きられるわけじゃありません、それまでの日々もあなたにとってそれだけ大切なものなんだから。

 

でも、聴いて、口ずさんで、そうやって日々を、一瞬一瞬を過ごすことで、歌詞が、音楽が、作った人の魂が寄り添ってくれている、誰かがわかってくれている、そんな感覚になれる時間があったんです。

 

もし、今これを読んだくれているあなたがこの曲をまだ知らなかったら、いえ、前から知っていても、どうぞこの曲、今のあなたが聴いてみてください。

(歌詞もわかっていただけるように、こちらの動画を紹介させていただきます。)

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

 

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