これは、人に何かを教える立場に立つと、誰にでも起こり得る共通のことだと思うんだけどね・・・。
“自分の経験から話す、伝える”ものだから、どうしても「過去の話」ばかりになっていく。
それも、どちらかと言えば「うまくいったこと」のオンパレード。
もちろん、経験してもいないことを人に教えるわけにはいかないから、当然と言えば当然。
それも、教わる側は基本「どうやったら、上手いこと結果を出せるか」に一番興味があるわけだから、こちらが成功体験について語ることになるのも・・・まぁ、致し方無しな場面多し。
もちろん失敗談も話すけど、それをどうやって成功に結び付けていったかも、立場としては重要なところ(?)。
でも、そうやって「過去の話」に埋没してくのは、自分自身にとってはちとマズイんじゃないかと警戒している。
「未来について語ろうよ。」
そう思うことがある。
例えば、同級会、同窓会みたいな場面?
「あの時はああだった、こうだった。」
もちろん、それはそれで楽しいのも事実。認める。だけど・・・
ふと、冷めた気持ちで見つめ直す。
「ん?これって、年寄り臭くないか?」(笑)
先が見えない。
悶々とした“今”。
でも、「昔は良かった」にハマっちゃいかん。
だって、「今まで」と「今」は似ているけど、違うから。
かつて劇団で教わった“折れ”で言えば、連続する時間をどこで折るかだ。
「長い折れで喋れ。」
そう言われたものだった。
ただ、時代の流れ、スピードの中で生きることに関しては、折れが短い方が良い場合だってある。
「どこで折るか」は重要だ。
変化、成長。変化、成長。
もがく。
自分自身に「未来について語れる」自分で居るために。
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