音楽にできること

音楽は不要不急なものなのか?

「音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である。」ベートーヴェン

震災の時もそうだったし、今回もそうだ。

「自分は無力だ。」

そう感じずにはいられない。

 

そんな時、「音楽は無力だ。」と考えてしまいそうになる。

 

でも・・・、果たしてそうだろうか?

音楽は不要不急なものだのだろうか?

「人は幸せだから歌うのではない。歌うから幸せなのだ。」ウィリアム・ジェームズ

もし音楽が不要不急なものだとしたら、古代ギリシアで誕生した人間を束縛から解放し自由にする知識であるリベラルアーツの中に何故音楽が含まれていたのだろう?

 

ピアノに向かい、スケールを弾く。

それだけでも、何故か心が落ち着いたりする。

引っ張り出したギターのチューニングをし、昔歌った曲をたどたどしい指づかいで弾き語ってみるだけで笑顔になれる。

 

これはいったいどういうことだろう?

音楽が無力であれば、こんなことはあるはずもない。

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「受け入れる心になるまでは、音楽も意味のない騒音にすぎない。」パウル・ヒンデミット

要は、受け取る側にそれを受け入れるキャパや感受性があるかどうかにかかっているんじゃないだろうか?

例えば、肉眼で見えていた景色をスマホやカメラで撮影しても、その拡がりや輝きや影から受ける波動を全くと言っていいほど感じとれないのと同様、受容体としての人間の感受性や柔軟性や知性や・・・そうしたいろんなものの鮮度が、同じ音楽でも全く違うものとして取り込まれる結果を生み出すのだろうと思う。

かつて、実家に「あぁ、軍歌」というLP盤のセットがあってゾッとしたのを覚えている。

「李香蘭」という作品の初演に関わった時に、戦争当時の軍歌や唱歌の資料を前にして、その不気味さを思い出した。

 

昭和の時代、これでもかというほどテレビから流れていたCMにしたって、どれだけ音楽の力に頼っていたことか・・・。

「音楽には癒しの力がある。何時間かほど、人を自分自身の中から解放できる力があるんだ」エルトン・ジョン

そうなのだ。

歌い手が自分の人生の中で自分自身の声を持ちつ持たれつしながら育てて行くのと同じように、音楽と人間の関係も、この世に生まれて、幼少期を経て思春期を迎え、青春の真っ只中をあっという間に走り抜け、人生の黄昏時にふと足を止めるようになって、やがてこの世を去る時まで、自分自身の中に受け取り、蓄え、熟成させていくものに違いない。

 

音楽は決して無力じゃない。

不要不急のものじゃない。

嘘だと思うんなら、この映画を観てみるといい。

音楽について、きっと今まで信じなかったものを信じられるようになるから・・・。


パーソナルソング

最後まで読んでくれて、どうもありがとう。

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