「人生にとって健康は目的ではない。しかし、最初の条件なのである。」武者小路実篤
自分が見ている凹面が、誰かから見れば凸面なのだ。
世界的な新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って、あらゆる産業が停滞し、数多くの都市で外出が規制されるまでの事態になっています。
今回、個人的に何より恐ろしいと感じているのは、
「得ている情報によって、見えている世界が全く違うものになる。」
という現実です。
具体的には、twitterで世界の医療現場から医療関係者が現状の悲惨さを訴えていると同時に、外出が規制されるほどの状況に陥っている海外在住の日本人が母国に対して警鐘を鳴らす発信をしている。
その同じTLに、日本国内の「エンタメの力を信じて今日も稽古頑張ります。」のような近況報告が溢れている・・・。

どちらが正しいということではありません。
海外と日本、舞台に関わる人々と世間一般、その一人一人が、
「“どんな情報に接しているか”によって、これほどまでに現実世界の捉え方に差が出る。」
という、この現実に唖然とするんです。
「今、できること」と「今、すべきこと」
自分がこれまでの人生で関わってきた舞台という世界に関して言えば、
- 芸術
- 娯楽(エンターテイメント)
- 経済活動
としての局面があると考えていて、娯楽としての舞台活動は不要普及でも、経済活動としての舞台活動としては、それを生業としている人間にとっては当然ながら不要不急である筈もない。
何より明らかなのは、世界的な状況を見る限りでは、
- この状況が一朝一夕で解決するようなものではないであろうこと
- となれば、自らの生活を守るべくでき得る限りの対策を練ること
- 今後、原因は違えどもこうした状況は再びあり得るのだと知ること
を“身を以て学ぶこと”が、「今、できること」であり「今、すべきこと」ではないかと思っています。
それは、もしかしたら政治について無関心だったことを後悔し、今後学ぶことかも知れないし、
もしかしたら、畑を借りて自ら食べていけるだけの作物を育てることかも知れないし、
場合によっては、生業として舞台に立つということから離れることかも知れないし、
とにかく、ありとあらゆる考えが次々に頭に浮かんで当然だし、そうでなければいけないとも思う。
自分にとっての「今、できること」と「今、すべきこと」は、自分で考えるべきことだから。
そんな中で、この状況下で、おそらく改めて誰もがその大切さに気づいていることに「生きていること」の価値・意味があるのではなかろうか。

かつて立たせていただいた舞台(作品)の中に、「生きているって素晴らしい」という楽曲があった。
今、ふとそのタイトルが頭に浮かんだ。
生きていること
心身ともに健やかであること
その価値を少なからず軽んじていたことに気づいている人間が、今、この瞬間、世界中に何人いるだろう?
少なくとも自分はそうだ。
「我らはいかにあるかを知るも、我らがいかになるかを知らず。」シェイクスピア 「ハムレット-四幕五場」
この先、世界が、日本がどんな状況に進んでいくのか、いまの時点で正確に予測できる人はいないと言っても良いでしょう。
何故なら、今、世界が対峙しているのは新型コロナウイルスであって、未知数なことだらけなわけですから。
それでも、過去に学び、現状を把握し、未来に備えることは必要で、そこで迷い、悩み、決断していくしかありません。
そうした中で、心身を健やかに保つためには自然と接する機会がものすごく重要であると同時に、屋外に出ることを制限されるような状況においては、少なくとも心を健やかに保つために、芸術(音楽であるとか、絵画であるとか、写真であるとか)は必要不可欠なものであるような気がします。
そうあって欲しいと思います。
娯楽はひととき現実を忘れさせてくれるものですが、芸術はこれまでの、今の、そしてこの先の人生と対峙し語り合わせてくれるものだと考えています。
一日も早く穏やかな日々が戻りますように。
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