「あなたは私のもとを去った。」その事実に間違いはないの。きっと悲しくなってブルーな気分になるわ。
ごくごく個人的なことですが・・・まぁ、考えてみればこのブログ自体が個人的なものだから、まぁいいかと思い書きます。
一昨年、母がこの世を去りまして、つい最近、父もあの世に旅立ちました。

歳が歳だけに、仕方がないことでもあるんですが、二人とも病で床に臥していたわけでもなく、日常生活は普通に送れていただけに突然のことでした。
特に母が亡くなった時には、「普段見慣れた風景の中に居るはずの人がいない」という現実に対処できずに居ました。
自分が生まれてから一度引越しをして居るので、正確には「生まれ育った街」というには語弊があるわけですが、それでも幼稚園から小学校、中学、高校と過ごした街で、実家も築うん十年という歳月を経ながらも自分が子供の頃と同じ間取りでそこにあるわけで、新幹線から乗り換えて最寄りの駅からバスに乗り、かつてレッスンから自宅に戻ったのと同じ道筋を辿って実家を眺め、そこに居るはずの人がいないという現実に向き合うのは、何とも表現し難い感覚です。
親が死んで、目の前に遺体として横たわっていて「死んでしまって、今、この場に居ない」ということは理解できても、「この先もう一生会うことがない」ということは、なかなか受け入れられないというか・・・ピンと来ませんでした。
「子は自ら親を選んでこの世に生まれ出る」
そんなことを何かの本で読んだことがありますが、だとしたら、自分は何故この人を親に選んだんだろう?
そんなことも考えたりしました。
もちろん、誰からもその答えは受け取れないわけですが・・・。
遺影用の写真とは別に、通夜・葬儀の会場に飾る写真を探していると、今までその存在さえ知らず見たこともなかった親の若い頃の写真が出て来たりして、今更その人生に思いを馳せてみることになったり・・・。
自分は何故、どんな縁でここに居るのか?
何故、音楽の道に足を踏み入れたのか?
どうして舞台に立とうと思ったのか?
何をするためにここに居るのか?
どうせ死ぬのに何故生きるのか?
当たり前と言えば当たり前なのかも知れませんが、自分のこの先の人生について考えざるを得ない出来事でした。
親去りし後、そんなことを考える機会を与えてもらっていることにも、もしかしたらものすごく深い意味があるのかもしれませんね。
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