食事と栄養と芸術の関係

「食べるために生きるな。生きるために食べよ。」イギリスの諺(ことわざ)

20代後半から30代後半にかけて、日本全国中はおろか海外公演まで経験させていただき、1年の内かなりの日数ホテル暮らしをしてました。

と言えばカッコ良いけど、ラグジュラリーなホテルに泊まルわけではないし、劇場楽屋でGパン洗って、大道具を運んでいるトラックの荷台と建物の間にロープを張ってもらい、そこに干して、Tシャツや下着はホテルの浴室で手洗いし・・・毎日がそんな感じで過ぎて行きます。

おかげで日本全国、1都1道2府43県行ったことがない土地はないけれど、ホテルと劇場の楽屋口しか覚えていない状態だったというのが事実。

乗り日と呼ばれる、移動だけで本番の無い日には、若者たちはけっこう観光地に出かけたりとか海に繰り出したりしてましたが、元来インドア派の上に体力に自信のない自分はほとんどホテルでぐったりしてました。


(こんな感じ・・・。)

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「病気の原因の“父”に該当するものが何であれ、“母”に該当するものは、《間違った食事》である。」ジョージ・ハーバート

小都市もかなり回るので(北は北海道の留萌とか、南は志布志、枕崎とか)、洗濯も苦労はするんだが、それよりなにより困るのは・・・食事。

当然自炊なんてできないから費用もかさむし、とにかく栄養が偏る。

地方の街で夜開いてるのは飲み屋かコンビニである。

とにかく白いご飯が食べたくて延々歩き回り、やっと見つけた飲み屋に入ってみたら「ごめんねー、今日もうご飯終わっちゃった。」と言われたり、延々歩いて辿り着いたコンビニに入ってみたら同じカンパニーのメンバーが根こそぎ食べ物を買い尽くした後だったり・・・。

歌が武器、声が売り物の身としては、乗り物とホテル、劇場の空調という天敵と戦いながら、食べ物の確保にも苦労するという、ある意味苦難の日々が続くのが旅公演だった。

似て非なるもの、それは「メニュー」と「栄養」

そんなある日、今は亡き母が電話口でこう言った。

「あんたもポ○ンSとか飲んだ方がいいんじゃないの?」

なんだそれ・・・「ポ○ンSって美味しいの?」そんな感じだった。

訊けば、なんでも総合的な栄養剤なるものらしい。そうか、アリ○ミンみたいなやつか。自分なりにそう判断した。

音大の声楽を受験した人間からすれば、ニンニク注射とかアリナミンとかキョーレオピンとかの類に関する知識は一般の同年代の人間に比べればあった方だとは思う。

なのでとにかくまず薬局にゴー。ふむふむ、なるほど。ポ○ンSにパン○タンAに・・・色々あるのね。

次に思い立って本屋にゴー。なになに、ライナス・ポーリング博士の「ビタミン・バイブル」!?お、これ良さそうじゃないか!

あの日以来、メーカーは変われども、サプリメントはずっと飲み続けている。

サプリメント摂ってるという話をすると、決まって「へぇ、でも自分、栄養は食事で摂るから。」と、そんなこと訊いてもいないのに、自らの健康哲学みたいなのを妙な上から目線みたいな空気を醸し出しながら語ってくれる人がいるのだが、そういう人に限って「昨日は生姜焼きとポテトサラダと・・・」と恥ずかしげもなく説明し始めたりする。

いやいや、それ、単なるあなたの食べた献立ですからー!

重要なのは、あなたの食べたそのメニューの中に、どんな栄養素がどのぐらい含めれていたかなのだ。

考えて欲しい、自分の食べたいもの並べただけで栄養バランスが取れるんなら、この世に栄養士なんて資格はハナから要らないのだ。

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ヴァーチャル栄養士を雇う

ボクはこう考えている。

もちろん、ミュージカルと一緒でピンからキリまであるからどれを選ぶかは重要だけど、それなりのレベルのサプリメントはその原材料もはっきりしてるし、当然ながら、栄養に関する知識のある専門家の下で一定の基準を満たしたものなわけで、それを継続的に摂るということは、言うなれば「我流ではなく専門のコーチについてレッスンを受ける」ようなものだと。

もちろん、マンツーマンとは限らない。市販されているサプリメントであれば、スポーツクラブでグループで指導を受けているのに近いのかも知れないけどね。

グループで栄養士さんを雇っているようなものだ。

もちろん、食事は栄養さえ摂れれば良いというものではなく、見て楽しかったり、美しかったり(視覚的に美味)、食事の間の会話やBGMが楽しかったり(耳に美味)、食感や味覚を楽しんだり(舌に美味)と、いろんな要素が重なり合った、総合芸術みたいなものだから、サプリメント摂ってりゃそれでいいわけではない。

そんなのものすごく味気ないと思うし。

だからこそ、「栄養補助食品」と呼ばれるのだとボクは考える。

調理は創造的な作業、料理は総合芸術

大学時代、けっこう弁当作って持って行ったりしてたし、バイト先が飲食関係多かったせいもあって、ふと気がつけば部屋に北京鍋があったり(もちろん自分で買ったんだけど)、一夜漬け漬物器が増えてたり、一人用の天ぷら鍋買って、明日葉の天ぷら揚げていたこともあった。

そう考えると、料理は好きだったんだと思う。実家を出るまでは一切料理なんてしたことなかったけれど。

ペペロンチーノを作ろうと買ってきた鷹の爪を調理した手でうっかり目を擦り、激痛にもんどり打って七転八倒しながら一人暮らしの部屋を転げ回ったりもした。

実家でニンニクを使うことがなかったので、買ってきたはいいけど、どうやって使う(食べる)のか皆目検討もつかず、かなりの時間何も言わずニンニクを見つめあっていたこともあった。

それでも料理は楽しかった。

作り方なんて全然わからないけど、食べたい味のイメージだけはあり、そのイメージ通りの味が再現できると、例えようのない達成感と幸福感に包まれた。

これって、発声のコツを探し当てて、思い通りの声が出た時の感覚に似ていた。

調理は想像力をかき立てられる創造的な作業だし、料理は総合芸術だと思う。

発声は想像力をかき立てられる創造的な作業だし、歌はそれだけで既に総合芸術なのだ。

あれ・・・料理と栄養の話のはずが、気がつけば芸術の話になっている・・・ま、いいか。

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