「張り切って、並みにいきましょう。」東野英治郎
10月に劇団四季のオーディションが開催されることが劇団四季HPで発表されましたね。
研究所生徒と一般即戦力の2部門での募集だそうです。
巷には色めきだっている劇団四季の舞台を夢見る若者たちが大勢いることでしょう。
劇団四季のオーディションと他のオーディションと何が違うのか?
オーディションに合格するために必要なものは大きく分けて二つあります。
それは・・・「運と実力」
「運も実力のうち」とも言いますから、そうなると、オーディション合格に必要なものは“実力”、この一点のみとなります。
ただし、この場合の“実力”というのは、なにも歌やダンスのスキル(技術)に限った話ではなく、“才能”や“魅力”、“秘めたる可能性”といったようなものも含んだ上での言葉です。
さらに劇団四季のオーディションに限っては、他で受けるオーディションと違ったところがあると、いつも考えます。
それは、例えば、一般で受けて不合格でも研究生ならば合格というパターンや、今すぐにはハマる役や作品はないけれども、近々再演を予定しているあの作品や、そのうちまた上演するであろうあの作品のあの役には良いかも知れないという、「他と比べたら多少長いスパンで自分の使い途を検討してもらえる」ということではないでしょうか?
勘違いしてはいけないのは、これは「今はちょっと力が足りないけど、丁寧に教えて育てて」などという基準で選んでもらえるということとは全く違うということ。
特に最近の劇団四季の舞台には、東宝を始めとしたプロデュース作品を中心に、既にそれなりのキャリアを積んだ俳優、歌手、ダンサーたちが多く出演しています。
ということはつまり、わざわざ素人や初心者を手間暇かけて育てる必要は基本、無いということです。

「自分」より「作品」
現在の劇団四季が上演する演目のほとんどは、既に何度も上演されている作品の再演、もしくは海外でヒットした作品の日本初演です。
ということは、まずそこで必要とされる技術レベルは火を見るよりも明らかです。
そこをクリアできていないのに、オーディションに合格するということは普通に考えてまずありません。
さらに言えば、応募書類や音源、映像を送る段階で、
「本当にこのオーディションでチャンスを掴みたいと思って居るのだろうか・・・。」
と審査員が思うような写真、筆跡、録音状態、録画状態のものは、審査をパスしない可能性が大だと思います。
基準とすべきは「自分の可能性」より「作品のクォリティー(品質)」ではないかと思います。

あとは、オーディション現場でありがちなのが、男性だといいところ見せようとし過ぎて自爆するタイプが多い気がします。
ダンスだとジャンプやターンで必要(指定の振り付け)以上に跳んだり回ったりしようとして力が入り、結果カウントやテンポに乗り遅れたりしがちで、見ていて痛々しく思う時さえあります。
女性だと、笑顔で明るく好印象を狙い過ぎて、かえって他の受験者と同じように見えてしまったりとか・・・。
ま、このあたりはあくまでいろんなところでオーディションの審査側を経験してみての個人的な印象ですが。
「空気を変える」「空気を動かす」ことこそオーディションで目指すべきこと
オーディションの審査というものを一度でも経験してみるとわかることですが、1日に何度も同じ歌を聴き続けたり、同じ振り付けを見続けるというのは、想像以上に集中力を要求される重労働です。
そんな中では、審査員は「おっ!?」と思わせて欲しいのです。「ん!?」って。
そして次の瞬間に心の中で叫びたいのです。
「来たー!」とか「居たー!!」と。
「ミュージカルの舞台を目指す、目をキラキラさせた爽やかな若者像」なんて、今や日本のどこででも見られるものになってしまっています。
そうじゃない存在にならないと。あなたが空気を動かさないと。あなたが空気を変えないと。
書類通っても、オーディションは通っても、すぐに埋れちゃいますよ?

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