信じる、信じない、それだけなら…

「人間の脳には“今起こっていることが、想像なのか現実なのか見分けがつかない”という特性がある」ということについては、これまでもたくさんの方がいろんなところで書かれています。

(「梅干しを想像するだけで唾液が出る」とかがよく例として出されますね。)

視覚にしろ、味覚にしろ、人間の五感は集めた情報を脳で処理・判断しているわけで、脳の研究が進むにつれ、こういうことが明らかにされてきているということでしょう。

翻って、古くはかの聖書にも以下のように書かれているのですね。

「イエスは答えて言われた。『神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海に入れ」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります』」(マルコ福音書11:24)

まさしく、「信じる者は救われる」ということになりますが、このことからすると「人生において叶えられないことは何もない」ことになります。

“心の底から信じる”ことさえできれば、という条件は付きますが。

自分自身のこれまでの人生を振り返っても、「根拠のない自信」と「タイミングの良い勘違い(思い込み)」のおかげで、世の中の常識から考えたら、到底実現できそうもないことを実現できたことが少なからずあります。

どういうわけか、そうなることを疑わなかったというか、なんというか…。

その一方で、実現できなかったこと、できていないこともあります。

この違いは何なのか?
その違いを生み出す違いはどこにあるのか?

話は少し飛びますが、少々乱暴な言い方をすれば「役者は成り切るプロ」のはずですよね?

言い方を変えれば、「信じ切るプロ」です。

“憑依型の役者”なんて表現をすることもあるくらい、ある意味「その人に成り切る」「その人としてそこに存在する」ことこそが、役者の果たすべき役割のひとつであることは確かでしょう。

とするならば…

「夢を実現する能力を抜群に持っているのは役者」

ということにはなりませんかね?

じゃあ、もしあなたが「プロの役者になりたい」と思っているのに、今現在それを成し遂げられていないとしたら…足りないのは何なのでしょう?

才能?努力?運?人脈?それとも…

実は、これには「ドキドキとワクワクの違い」も関係していると思うのですが、今日のところは、この「思い込むこと」「信じ切ること」について、お互いもっとよく考えてみることにしましょう。

Kobayashi Hitoshi

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