呼吸…舞台に上がって初めて知ることになる自分
「呼吸は大事」
このことを否定する人はたぶんいないんじゃないかと思うわけです。
でも、なんで大事なの?
そりゃ、呼吸しなかったら人間死んでしまうから。
ごもっとも。
こんな捉え方もあるらしい。
呼吸は、人間の生命維持に直接関わる不随意機能でありながら、唯一と言って良いほど随意的にコントロール可能だから。
要は、生命に関わることで普段は無意識に働いているにも関わらず、意識的にコントロールすることが可能な稀有な存在(?)ということですね。
「息の根をとめる」
「息を飲む」
武道の世界では、
「相手の呼吸を読む」
なんて言い方もありますよね。
毎起きて、コーヒーを淹れながら、そしてそのコーヒーの香りを楽しみながら、深く息を吸っては吐いて呼吸を整える。
コーヒーを一口、口に含んだ状態で鼻から息を吸い込んで、コーヒーの味と香りを同時に感じながら、心の中も一度リセットする。

これ、自分にとっては毎朝の重要な儀式なのです。(笑)
今日は、
「呼吸を意識にあげること」
について書いてみようと思います。
息はどこから吸っている?
歌を教えていると、たまに
「息は鼻から吸うんですか?口から吸うんですか?」
と質問されることがあります。
そんな時、ボクは
「普段どっちで吸ってますか?」
と訊き返します。
すると、ほとんどの方は、
「…。鼻…?」
みたいな歯切れの悪い返答をなさいます。
要は、そう質問されるまで日常の生活の中で呼吸を意識したことがなかったということでしょう。
それが、歌を歌うとなった途端、
「もっと息を深く吸って、お腹で支えて」
みたいな指導を受けると、要はパニクるわけです。
「え?え?…息ってどうやって吸うんだろ??」
と。
その途端に、一番生理的にしているはずの普段の呼吸のことはすっ飛ばして、歌用の特別仕立ての呼吸がスタートしてしまうわけです。
「腕はいつもどうしてたんだっけ?」
これって、例えば舞台の上に立った途端に自分の腕が気になりだして、
「あれ、今この瞬間に腕がここの位置にあるのって変じゃないのかな?役として自然?あれ、もしかしたら変かも。おかしいって思われてるかも。」
なんて思い始めた途端に肘のあたりが痺れてピリピリしてくる、みたいな感じです。
ボクはこれを、
“自意識高い系”
と呼んでいますが、
要は、今まで無意識の領域にあったもの(自分の身体の一部)が、突然意識化に引っ張り出され、どうしたらいいかわからずその場に凍りついてしまった…みたいな状態です。
「自分は普段どうしてたんだ?」
ある意味、舞台に上がって初めて自分と出会う瞬間です。
確認とトレーニングは違う
人間、小学生ぐらいになればもう無意識のうちにこなしていることはたくさんあります。
歩くこと、走ること、話すこと、笑うこと、食べること…。
そうしたことをなんらかの理由で「変えたい」と思ったら、まずはその無意識を意識にあげるということをするのが一番の近道のはずなのです。
昔、パリ・オペラ座のバレエ学校のレッスン・ビデオで、生徒さんたちが素足で新聞紙をつまみ上げる練習をしている様子を見たことがあります。
パリ・オペラ座のバレエ学校ですよ?
それまで意識を向けることがなかった足の指先、足の裏を意識してみる。
そして、それを自分の意識化においてコントロールできるようにする。
そうした地味で、到底面白いとは言えないような作業レベルのことを、決してただの作業とはならないようにコツコツ続けて土台を作る。
その長期的なモノの見方に感動したのを覚えています。
「急がば回れ」
「千里の道も一歩から」
「言うは易し行うは難し」…
まずは意識にあげなさい
呼吸について学びたいと思ったら、まずは普段のあなたの呼吸を意識にあげなさい。
「急がば回れ」
Kobayashi Hitoshi
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