日々、とにかく時間に追われ、「できればブログは落ち着いてじっくりと書きたい」なんてことを思っているとなかなかどうしてそんな時間も取れず、ついつい足が遠のく。
いやいや、この場合「筆が遠のく」と書くべきなのか、いやいや正確には「キー(ボード)が遠のく」か。
待てよ、今自分は一念発起してこれをフリック入力しているではないか、この場合はどう表現するべきなんだろう?「画面が遠のく」?
なんか変だな、これも。
…閑話休題。
「仕事なんか生きがいにするな」(泉谷閑示著/幻冬新書)
という本を読んだ。
なかなか面白い。
著者が精神科医であることは知った上で読んだのだけど、パリのエコール・ノルマルで学んだ方だとは知らなかったのです。
後半、「愛」と「芸術」についての部分が出てきます。
「娯楽」と「芸術」について考える自分は、何か運命的なものさえ感じて読み進めました。
そもそも、音楽に惹かれその道に進み、さらには舞台に立つことやそれを教えることを生業としてここまで生きてきた身としては、「仕事」と「芸術」は常に混然としてそこにあり、そのことはイコール「自分の生きがいとは何なのか?」を常に心のどこかで自問しながら生きていることに繋がります。
東関東大震災の時など本当に自分は無力だと感じたし、だいたいが自分など音楽をやるべきではなかったのではないかとも思い悩み続けるし、それを言ったら人に教える立場に居ること自体が問題なのではないかと考えたり…。
ただ、自分の人生の残り時間がおそらくかなり減ってきていて、この先の時間をどう過ごすべきかを真剣に考えざるを得ない心境になった時に、そこにはやはり「自分にとって音楽とは何なのか?」「このまま人前で歌うことを終えてしまって良いものか?」「でも、だとしたら、誰のために歌うのか?」「何のために歌うのか?」という、なかなか答えを出すことのできない自問がぐるぐる渦を巻いているのである。
でも、そんなことは言ってられない。
だって、人生残り時間どれだけあるかわからないんだもん。(笑)
いやいや、笑いごとではない。
現に声は年齢と共に変化(老化)し続けているわけだし、いつまで歌えるかわからない。
今だって風呂場で鼻歌歌ってるぶんには自分でも勘違いしそうに気持ち良く歌える時があるけれど、現実はそんなに甘くないことは他の誰より自分が一番良く知っているではないか…。
で、
今回この本を読んだことでいろいろ考え、知人の舞台を拝見したことでいろいろ感じ、ともかく残り時間は確実に減っていってるんだし、今は歌うこと自体がお金にならなくて困る状況ではない(もし声が出なくても、自分が恥をかくだけで、それで路頭に迷うことはない)んだから、老後の楽しみの第一歩としてやってみてもいいんじゃないかと思い始め…。
こんな自分のことを気にかけてくれる人たち、その人が居てくれたおかげで救われた人たち、その顔を思い浮かべるとほっこりできる人たち、そんな人たちに聴いてもらえるような場を持ちたいと考え始めている自分を新鮮な気持ちで見つめている。
うん、大人になったな。というか、
歳とったな、お前も。。
もしかしたら、これを機会に
「誰のために歌うのか?」
「何のために歌うのか?」
が、わかり始めるのかも知れません。
(…今頃かよ、とも思うのではありますが。)
コメントを残す