歌えることは武器になる
“クラシック歌手がクラシック以外を歌うことに可能性を感じ、俳優が「歌を歌えれば仕事を得られる現実的な可能性が広がる」ことに気付くに従い、ミュージカルは両方のグループにとって益々魅力的なものになっている。”
(「Singing in Musical theatre」Joan Meltonより)
これは、4年ほど前に購入した「Singing in Musical Theatre」という本の冒頭に書かれていることだ。
ミュージカルで歌うことを教える教師たちへのインタビューをまとめたもので、アメリカ、イギリス、オーストラリアと、複数の国のボイス・トレーナー、ヴォーカル・コーチがインタビューに答えている。

ビジネスの世界では、
「アメリカで起こっていることは数年経ってから、必ず日本でも起こる。
だから、アメリカの情報をいち早くキャッチして日本に持ち込めることは、タイムマシンを手に入れたようなもの。」
というのが定説のようだ。
このことはビジネス以外でも当てはまる。
アメリカがデファクト・スタンダードを握る分野では必然的に同じことが言えるだろう。
エンタメの世界然り。
特にミュージカルの世界では、現状、ブロードウェイとウエストエンドがメインストリームで、そこから輸入(翻訳上演)されるものが、日本国内で人気を集めているのだから。
この本の発行年を確認してみると、2010年。
日本国内のミュージカル業界の状況を見てみると…まさに、様々なジャンルから舞台(ミュージカル)の世界に活路を見出そうと挑むパフォーマーが続々と現れている。
興行を仕切る側も、時流に乗って、すでに他ジャンルで活動して固定ファンがついているパフォーマーがミュージカルに出てくれれば話題性もあるし、出券も見込めるわけだから渡りに船だ。
勢い、キャスト全体の平均年齢が下がり(=当然ギャラも抑えられ)、再演の度にキャストを入れ替え目新しさをアピールしていくこととなる。
ただ、そこでチャンスを得たパフォーマーたちがその後のキャリアを継続的に築いていけるのかという点では…正直、疑問に思う部分も多い。
自分が声というものを仕事として扱う立場にいるからなおさらだ。
この本の中にもあるように、
“ミュージカルの舞台で歌うということは、とてつもなくキツい(=要求度が高い)ことだ。幅広いジャンルの曲を歌いこなす技量が必要とされるし、基本的に週に8回健康で元気な状態で舞台をこなす必要もある。”
ミュージカルの舞台で歌うということは、ただ単に「歌を歌う」ということ以上に、遥か何倍もの技術や才能、体力、精神力、そうした要素をコンスタントにコントロールする自己管理能力を必要とするものだと思う。
歌手、俳優、それぞれの根本的な取り組み姿勢の違い
この本の最初の部分でなるほどと納得してしまったのが、歌手と役者のパフォーマンスに向けての準備段階での取り組み姿勢の違い。
- 歌い手は練習室のような空間に籠って、何時間も一人で練習を積み重ね、アンサンブルの一員として演奏している時でさえ、自分のパートを他とは切り離して感じながら歌っている。レッスンもコーチと一対一が基本。
- 役者は、(もちろんリサーチしたり、セリフを覚えたり、キャラクターの身体的な癖を研究したりの個人作業はするが)他者とのコミュニケーションの中で演じ、学んでいく。
というもの。
歌い手の日常は多分に内省的で、だからこそ客観性の薄い歌い手は妙にナルシズムの匂いを感じたりするのだ、きっと。
一方で役者が芝居の中で歌うことを要求されると、びっくりするほど音程が外れたり、リズムが狂ったりすることがある。
自分自身のことを振り返っても、舞台の世界に入ったばかりの頃は、目の前にいる共演者と“交流する”ということが全くと言っていいほどできなかった。(というか、そもそもそういうコミュニケーションを理解できていなかったのだ。)
その後、スタッフ(歌唱指導)として色々な作品に関わるようになってからは、個人の歌稽古ではちゃんと歌えるのに、芝居の稽古に入った途端に歌が不安定になる役者さんたちを見てきた。
最初の頃は「歌が苦手だから緊張している」ことが原因だろうと思っていたし、それも全くの的外れではないとは思うけれど、要は歌手と俳優のそもそものパフォーマスに取り組む習慣(生態?)自体が違っているのだ。
その点、この本に書いてあることは妙に納得がいってしまった。
生まれつきの美声に恵まれなくても道はある
この本では16人のボイス・トレーナーへのインタビューが掲載されていて、それぞれに「なるほど」と思うことが書いてある。
それは具体的なトレーニング・メソッドというよりは、むしろ声やトレーニングに対する考え方や姿勢で、最初に紹介されているエリザベス・ハワードさんという方のインタビューの中にも、ボイス・トレーニングについてのとても重要でトレーナーが肝に銘じておくべきと思うことが出てくるのでここで紹介しておきたい。
“発声の仕組みがどのように働くかについて知っておくこと、また、人によっては生まれながら美声に恵まれているわけではないことを理解すること、そして明確で論理的な説明をもってすれば歌うことの謎を解き明かせると知っておくことは、私たちにとって非常に重要でエキサイティングなことだと思うのです。
私たちは望む声を心で、筋肉の調整で、耳で、コントロールすることができるのです。いつでも、確実に。望み祈るだけではなく。”
ボクが学生時代に教えを請うたボイトレの師匠は、フレデリック・フスラーという人の考案したメソッドに基づいてトレーニングをしていて、そこで何より感動したのはフスラーの「歌う能力を持たずに生まれてきた人はいない。ただ、その能力が萎びて(しなびて)しまっているだけだ。」という考え方だった。
ボクの師匠も諦めなかった、言い方を変えれば…しつこかった。(笑)
でも、そのエネルギーたるや凄まじいものがった。あの姿勢には本当に頭が下がった。
ただし、プロとして通用するレベルに達することができるかどうかは別だ。
でも、機能として「歌うことができない」というケースは、余程のことが無い限りあり得ない、そんな考え方だった。
もちろん、生まれつきの美声や発声器官の調整能力に恵まれている人がいるのは事実だけれど。
その点、素材で勝負するクラシック(声楽もバレエも)と比べると、ミュージカルの歌はたしかに個性で勝負できる部分があるかも知れない。
それにしても、特に表現者への要求度が高い最近のミュージカルを継続的に歌っていこうと思ったら、やはり個性だけでなく確固としたマインド・セットと歌唱スタイルがないと、継続的にキャリアを築いていくことは難しいだろう。
スポーツ選手で言えば、選手生命に直接関わってくる問題だから。
こうした考え方を理解してボイス・トレーニングに取り組み、より高いレベルでミュージカルを歌うことを目指す俳優、演じる歌い手が増えていったら素敵だなと思わずにはいられない。
書き出したら止まらないので、この本のレビューはまた引き続きやっていけたらいいかな、と。
今日も読んでくれてどうもありがとう。
※記事中の引用文は全て小林自身の拙い訳によるものです。悪しからずご了承下さい。
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