タップダンスとミュージカル映画に夢中だった頃

ミュージカルといえば、アステア、ジーン・ケリーでしょ

スタンリー・ドーネンという存在の大きさ

ネットのニュースでスタンリー・ドーネン監督の訃報を知った。

「On The Town(邦題:踊る大紐育)」、「恋愛準決戦」「雨に唄えば」「略奪された七人の花嫁」「Funny Face(邦題:パリの恋人)」「パジャマ・ゲーム」「くたばれヤンキース」・・・。

数え始めたらキリがない、10代後半から20代にかけてワクワクしながら観た名作ミュージカル映画の数々を手がけた名匠。

元々は、ブロードウェイでコーラスを務めていたジーン・ケリーと出会い、彼の助手としてハリウッドに。
そこでMGM映画のダンサー、振付師として活躍した後に、ジーン・ケリーと共同で監督した「On The Town」や「雨に歌えば」が大ヒットした。

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アステア?ジーン・ケリー?どちらがお好き?

ボクたちから少し上の世代から、ボクたちにかけて、当時ミュージカルにハマった人のほとんどは「フレッド・アステア、ジーン・ケリー世代」と呼んで差し支えないと思うほど、映像を通して観る彼らのステップはボクらを虜にして離さなかった。

個人的には、アステアの神がかったダンス・スタイルより、ジーン・ケリーの、あのちょっと短足な体操選手のような体型と、なんとも幸せそうなあの笑顔に親近感を抱いたし、(身の程知らずを承知で言えば)「もしかしたら、自分にも踏めるんじゃ・・・。」と思わせてくれるタップ・ダンスのステップに夢中になった。

タップ・ダンスにハマった頃

何を隠そう、学生時代後半にほんの数回だけどタップのレッスンに行った(通った、と言えるほどの回数ではない)ことがある。

今は驚くほど立派になっている新宿村の、本当にボロボロで崩れ落ちそうな階段を昇った先の狭いスタジオだった。

お金がないので、渋谷のセンター街だったかアメ横だったか、安い靴屋で買ったショボい靴の裏に、チャコットで買ったチップを強引に付けて作った、バランスのとりづらいことこの上ないタップ・シューズもどきをカバンに詰め込んで行ったものだった。(後に、今はもうなくなっちゃった中野のパピヨンという店でカペジオのタップ・シューズを買った。夢のような履き心地だった。)

アタマの中はすっかりジーン・ケリーなのに、現実は、リハビリが思うように進まない老人のような足先で、先生から「ラッシャー君、音大生のくせになんでそんなにリズム感ないのっ!!」と檄を飛ばされ、足が遠のいた・・・。
(ちなみに、当時一部の友人たちの間でのボクのあだ名はピッコロであって、ラッシャーではないことをここに書き添えておく。)

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タップ・ダンス、タップ・ダンス

「雨に唄えば」のジーン・ケリーのように軽やかに、「パリのアメリカ人」のジーン・ケリーのように明るく、タップ・ダンスが踊れるようになりたい。

就職して田舎に戻っていた間にも、仕事を終えて戻った宿舎の部屋の中、ホームセンターで買ってきたコタツの天板の上で、カチャカチャとタップ・ダンスもどきを踏むことが密かな楽しみ(?)だった時期もあった。

あれから長い時が流れ、最近よく「タップ・ダンスやりたいなぁ。」と考える。

タップ・ダンスなら脚が高く上がらなくても、股関節が多少硬くなってても、できそうな気がするからだ。

それより何より、やっぱりミュージカルの原体験が「雨にうたえば」であり、「パリのアメリカ人」にあるからかも知れない。

歳とってからのタップ・ダンスって、なんかいいよね。

ミュージカル、タップダンス、スタンリー・ドーネン

スタンリー・ドーネン監督の訃報を知り、ネットで検索していたら、1998年のアカデミー賞授賞式のスピーチ中で、彼がタップのステップを踏む姿を見つけた。

スタンリー・ドーネンは映画監督である以前に、熱狂的なMusical Loverだったんだ。

そんな風に感じずにいられなかった。

ステキな映画の数々、本当にありがとうございました。

久しぶりにタップ・シューズを引っ張り出してみようかな・・・。

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