ボイトレ「クラシックからスタート」は正解か?

水の流れはいつだって上流の方が澄んでいる。

ボクは、楽器演奏にしてもダンスにしても、そしてボイトレにしても、「クラシックからスタートする」ことに一定の意味があると思っている。

もちろん、ジャズから入ってくる人だって、フォークから入ってくる人だって、ストリートから入ってくる人だって、素晴らしいセンスや感性、技術を持ってる人はたくさんいる。

今、話題にしているのはあくまで「効率的にトレーニングを進める上で」ということが前提のお話。

これは自分がクラシックの声楽出身だからではなく、25歳を過ぎてミュージカルの世界に入り、バレエをはじめとしたダンスを学んだ経験から得た教訓だ。

当時、劇団には複数のジャズダンスの先生がいて、先生によって教えるてくれることがそれぞれだった。

例えば、ピルエットひとつ取っても、「ハイパッセで回れ」という先生もいれば、ちょっとプリエをしたまま「頭の高さを変えずに回れ」という先生もいたし、「腕はサークルだ」という先生もいれば、「両手のひらをみぞおちのあたりに引きつけるように肘を左右に張った状態で回れ」という先生もいた。

これって、かつて駅前留学した時にアメリカ人の先生から「そういう時はこういう表現をするといい」と教わった英語を使うとイギリス人の先生に顔をしかめられ、ニュージーランド人の先生の発音を真似ると、それを聴いたカナダ人の先生から苦笑される、みたいな経験に近いものがあって、初心者は「いったいどれを覚えりゃいいのよ!?」ととっ散らかって、要はアカデミックに積み上げて行くことができなくなるのだ。

その点、クラシック・バレエは(ロイヤル系とかロシア系とか、流派はあるようだけど)

やるべきことの作業内容と訓練の順番がはっきりしていて、用語も一通り決まっている

ので、遅めのスタートから体系的かつ効率的に学ぼうとする人間にとっては、「明朗会計」な感じがして、非常に有り難かった。

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「人間の構造は昔から変わっていない」ことを忘れていないか?

これは、クラシックの場合、それまでの歴史の中で、

「教授法についてある程度のレベルまで研究し尽くされている」

ということだと思う。

そもそも、人間の身体の構造自体はそれより前の時代から、とんでもない進化や変化はしていないわけなので、その点、とっても理にかなっているはずなのだ。

ただ、クラシックも声楽に関して言えば、

  1. ほとんど目に見えない世界で起こっている現象だということ
  2. 明治時代に日本に西洋音楽が入ってきた時にドイツ式のものがメインストリームだったこと
  3. 日本語という言語が文法的にも発音的にも、かなり特殊な言語であること

などが、実際に声楽を学ぶ上でネックになってきたという事実はあるのだろう。

 

そもそもが、イタリアから起こった「Bel Canto」という歌唱スタイル自体が、

師匠から弟子へ口頭で伝えられて行く、ある種の伝統芸能みたいなノウハウなのだから、

インターネットがないのはもちろん、移動にも飛行機なんかとんでもない、船がメインだったような時代に、それが人を介して国から国へ伝わって行けば、そりゃバスの中の伝言ゲームみたいに、

「たどり着いた頃には全く別物になっていた」

なんて笑い話のようなことも、ない方がおかしいという話だ。

 

そういうことを冷静に考えれば、フレデリック・フースラーという人が1965年というタイミングで「Singen」という本を出版したという事実は、とんでもなく画期的なことだったに違いない。

もちろん、その後の医学の進歩や録音・録画技術の進歩、インターネットの出現なんかを考えれば、今読んだ時に「?』な部分はあって然るべきだし、雨後の筍のようにおびただしい数のボイストレーニングのノウハウがネット上に転がっているのも、まあ、当然のことかも知れない。

それでも、忘れちゃいけないのは、

「人間の身体の構造はその頃から変わっちゃいない」

という事実と、

世の中が便利になったぶん

「人間の身体はむしろ弱体化し」

「同時に、酷使され、消耗する傾向にある」

という事実なんじゃないだろうか?

だからこそ、

「本来の自然の状態に開放する」「自然の姿に戻す」

ことが、“ボイトレのあるべき姿”ということになる。

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メソッド、システムに欠かせないものとは?

クラシック(古典)と名のつくジャンルにおける芸の道に共通していて、その修行方法で優れている点は

「作業レベルに落とし込まれた具体的なトレーニングを、どの順番で、どの程度繰り返すのが望ましいか?」

明確に示されていることに尽きると思う。

ボイトレにおいてこれを(理論的な裏付けをもって)実にシステマチックに構築したのが、フレデリック・フースラーということになりますね。

最近、改めてフースラーの本を読んだり、学生時代に受けたレッスンのことを振り返るにつけ、フースラーのメソッドで身につけたものが、いかにその後の自分のキャリアを築く上で強固な土台となっていたか、しみじみと感じるのだ。

ボク自身、小学生時代は歌謡曲、中学になればフォーク、その後はキッスやクイーンをはじめとしたロック、そしてジャズと、いろんな音楽にワクワクしながら育ってきたけれど、歌のトレーニングに関してクラシックから入ったこと、その過程でフースラーの理論とかつての師匠に出会えたことは、何よりの宝物だ。

 

 

 

 

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